剪定で「木の社会的価値」を上げる (日本植木協会「緑化通信」寄稿)

 

 「剪定」ってどうでしょう。私は街の木々を見てよく「もったいない」と感じてしまう。同時に剪定だけでも木の「社会的な価値」まで上げられると思っています。

 街路樹も庭木も「意図せず不自然に剪定された木」が目立ちます。雑木の流行からもわかる通り、人工物で囲まれた現代の都市では自然の姿の木が求められています。しかし街では「伸ばしたまま」はできないことが多い。「自然樹形を維持したまま、木の大きさをコントロールする」剪定が課題なようです。特にナラ、ケヤキ、カシといった成長の早い高木陽樹は顕著で、成長とともに太い枝で切り詰められるようになり、いわゆる「ブツ切り」に近づきます。大きさを保つには「仕方ない」と思われがちなようですが、本当はどんな木でも本来の樹形を損なわずにコントロールすることは可能です。しなやかな姿を損なうと木の健康も損なわれることも大きな問題です。

 自然樹形といえば「透かし剪定」ですが、多くの剪定の本を見ても街の木を観察しても、「大きさのコントロール」のための最も重要な視点が欠けているようです。それは「枝を世代交代させる」ことです。木は全体に世代交代のための枝を必ず用意しています。通常それらは樹冠の成長とともに光量不足で枯れていきますが、剪定によって光を通せばゆっくりと成長します。樹冠内にバランス良く次世代の枝を育てていれば、樹冠になっている枝を元から取り除くだけでそのまま一回り小さなサイズになります。数年先を見越して樹冠になる枝を胴吹きから育て、剪定のたびに樹冠を世代交代するということです。この「次世代の枝」がことごとく取り払われているようです。

 

 

 「枝の世代交代」は、「野透かし」についてふれた文献で見られます。「雑木の庭」の起りが昭和初期ということは、長い造園の歴史で「自然の姿にするための剪定」が始まったのはつい最近ですが、現代では1つのスタンダードになるべき考え方だと思います。

 木の姿は川の水系の姿と良く似ています。人の血管にも似ています。木はこうした「流れ」の構造がそのまま表出した姿と言えます。それは根元から徐々に細く枝分かれしていくことでスムーズで安定したものになります。太い枝の切り詰めはダムの決壊のようなもので、その後徒長枝を噴き出します。地上の姿を映すように根も荒くなり、支持力、水や養分の吸収力も損なわれます。免疫力は低下し倒木のリスクが高まります。組織の柔らかい徒長枝で覆われた木は病害虫の格好の繁殖場所になります。

 川の水系と支流はおおよそ相似形です。地図上で利根川水系から支流の鬼怒川をまるごと消してみても違和感がありません。適量適所で「支流」ごと枝を取り除けば、木が健全(樹液の流れがスムーズ)なままで、大きさもコントロールできることがイメージできます。切る箇所が少ないので、手間もかかりません。ブツ切りや刈り込みよりも早く終わらせることもできます。枝の伸長も緩やかになります。

 

 この剪定が合理的なのは、「木の根本治療」や「土壌改良」の効果まであることです。果樹の味が良くなったと驚かれる事もあります。植物生理的に枝と根はそれぞれ対応しているといいます。剪定した姿を映す様に不要な根を枯らします。地上部を健全な樹形にすれば、地中でも細根が充実して吸収力も支持力も優れた根系にする事ができます。剪定による枯死根は土壌に有機物を供給するとともに、通気通水性を高めます。根圏微生物も活性化し、木が健康になる好循環が生まれます。

 

 

 この「好循環」を作る事が「木の社会的価値を上げる」ことにつながります。木には優秀な「都市インフラ」という側面があるからです。「天然エアコン効果」「景観」「災害・公害緩和」…、木は人のために何役もこなしてくれます。現状は「毛虫」「倒木」「根上り」「落ち葉」などといったトラブルに焦点があたって避けられがちでさえありますが、これらの原因は人の木の扱い方による「人災」であること多い。木は健康であるほど美しく「高性能」になります。

 剪定で大体の木は2~5年で本来の樹形に再生できます。ある意味、5年で日本の街の景色を変えうると思うとすごい可能性を感じます。そのためにはやはり少しでも「ええな~」と感じてもらえるような木を増やしていくことが大事で、その方法を追求し提示していければと考えています。

 

剪定しているところ。

 

剪定後。1メートルほど樹高を下げてもやわらかな枝振り。剪定法を変えてから毎年のうどんこ病がなくなり、伸長も穏やかになったという。